5月2日
9年前のゴールデンウィークは、病院で始まりました。
緊急入院して、三日三晩うなされながら病院のベッドで過ごしていました。
意識は朦朧として高熱が続き、喉の腫れがひどく呼吸も苦しくて、体中が痛くて、
気持ち悪くてとにかく辛かった。
数日後の朝、熱がほぼ下がって起き上がれるようになって、トイレにも自力で行けるようになり家族と話したりできるようになった頃、テレビか家族から聞いた
のかは忘れたけど、「キヨシローが死んだ」というニュースを聞いてひどく落ち込んで
しまいました。びっくりしたというか、私がもうろうとしていた時、死んじゃったという事にショックを受けてしまった。
体調が回復して喜んでいた矢先だったけど、急に虚しくなってしまい病室の外の洗面所
で歯を磨いていたら急に涙がポロポロ出てきた。大きい病院だったけど連休というのと
入院したのが耳鼻咽喉科の病室だったので入院している人はほぼいなかったし、
スタッフの人も少なかったのでとても静かだった。窓の向こうに学校があったけど
そこも無人で私は静かに孤独で、でもその時は寂しいというよりは、涙が止まらず
一人きりでよかったと思いました。
今でもあの朝を思い出すと鼻の奥がツーンとして、涙が出てしまう。
私は熱心なファンではなかったし、同じものばかりをずっと聴いていました。
母親が買ってきたRCサクセションの「COVERS」(88年)が初めてちゃんと聴いた
キヨシローの音楽で、その後家族ではまったフジテレビの「やっぱり猫が好き」のED
で「サン・トワ・マミー」が使われた時は本当に好きだと確信しました。
その後90年位?〈エースコック〉のスーパーカップのCMでタイマーズの「デイドリーム・ビリーバー」が流れて自分が好きなモンキーズの歌だったので嬉しくて
しょうがなかったのを覚えています。あとは、HIS「日本の人」(90年)は
もう何回聴いたかわかりません。
今日は、ずっとキヨシローの歌を聞きながら、キヨシローの事をずっと調べていました。HISの曲を聴いているとやっぱり涙がポロポロ出てきてしまいます。
涙はもう感傷的になる前に、自動的に涙腺がうるむようになってしまうのですが
minako with wild catsの「あなたと熱帯」(88年)が作詞が松本隆で作曲が忌野清志郎だということを初めて知って、涙が引っ込みました。